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閃光少年

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 「宏斗、目指せ10.14 1軍デビュー!」

 8月31日付の中日スポーツでは、1面でドラフト1位ルーキー・高橋宏斗の特集が組まれた。チームが振るわないシーズンの終盤になると、若手の抜擢を期待するのはいつの時代も同じだ。

 歴史を遡ると2001年、5位に終わったシーズンで、ドラゴンズは一人の投手に光を見出している。本日9月16日は、その投手が一軍デビューを飾った日。多くの野球ファンから伝説の投手として語り継がれている男の初登板直前までの足跡を辿っていこう。

偶然の産物

 時は2000年。ドラフト会議の主役は、同年のシドニー五輪に出場した山田秋親(立命館大)だった。スリークォーターから150キロ超えのストレートと、鋭い変化球を繰り出す剛腕への評価は高まるばかり。即2桁勝利を期待できる逸材として、専門誌でも大きく特集が組まれていた。

 「全日本」入りした大学球界のエースをプロが放っておくはずがない。複数球団による争奪戦に発展し、ドラゴンズも当然のごとく参戦した。

 ドラフトの目玉に飛びついたのは偶然ではない。この年のペナントレースは連覇を目指したものの、巨人に次ぐ2位。しかも単なるV逸ではなく、前年オフに獲得を試みた工藤公康と江藤智をさらわれた末の敗北。投手陣は高齢化に加え、頼みの野口茂樹や川上憲伸も振るわず火の車。山田はV奪還の使者として期待されていたからだ。

 だが時代は逆指名制度真っ只中。現在みたく抽選による決着は望めない。争奪戦の劣勢が伝えられていたドラゴンズは指揮官・星野仙一が出馬。「背番号20」を提示するなど球団を挙げて最大限の誠意を見せたが、勝利の女神は微笑まなかった。

 本命を口説けなかった場合、大きな代償を払うのが当時のドラフト。大学生や社会人の有力選手は既に他球団が囲い込んでいた。高校生の1位指名に方針転換せざるを得ない状況で白羽の矢が立ったのが、他ならぬ今回の主役・中里篤史(春日部共栄)だ。

 甲子園経験はないが、一場靖弘(桐生第一)や筑川利希也(東海大相模)とともに「関東三羽烏」と称される本格派右腕の実力はピカ一。ただし指名するには重複のリスクがあった。

 この年の高校生投手は、森大輔(七尾工)と内海哲也(敦賀気比)の両左腕が主役。ところがドラフト直前に森が社会人入りを表明。内海も巨人入りを熱望し、他の11球団が交渉権を獲得した場合は社会人入りを示唆して情勢が大きく変化してしまう。

 「果たして中里を無事獲得できるのか?」。

 結果は杞憂に終わった。ライバルと目された広島は、高校生右腕の横松寿一(戸畑)に入札。中里が希望球団の一つに挙げていたとされる横浜も、のちに名球会入りを果たす内川聖一(大分工)の一本釣りに成功している。かくして「未来のエース候補」は大きな波乱もなく誕生した。 

万事快調                                                                                                                

 契約金は、球団が高校生に支払う史上最高額の1億円。即戦力に近い存在として球団から大きな期待をかけられたものの、初めてのキャンプは極めて静かだった。

 FA移籍で加入した川崎憲次郎に注目が集まる中、2軍で身体作りからスタート。自主トレ期間に左膝を痛めていたため、ブルペン入りはキャンプ終盤の2月27日まで持ち越しとなっている。

 その後も慎重に調整を進め、初の実戦登板は4月24日のウエスタンリーグ近鉄戦が選ばれた。迎えた当日、初陣にもかかわらず、期待の新人は大器の片鱗を見せつける。2イニングを投げ無失点。対峙した6人の打者を誰一人出塁させなかった。

 「高校時代は145キロくらいでしたから」という直球は、初登板にもかかわらず最速146キロを記録。細かい制球や変化球に課題を残しつつも、デビュー戦からあっという間に20イニング連続無失点を達成。快刀乱麻の投球を続けるルーキーを当時の二軍監督・仁村徹は「ファームじゃ点はとられないと思う」と評した。同時に、「後は大舞台の経験が加われば」とも付け加えている。

 注文を付ける一方、指揮官はフレッシュオールスターで大型ルーキーの経験値を上げようとした。その年仁村は全ウエスタンの監督が内定しており、そこで先発起用するプランを温めていたのだ。

 過去には鈴木一朗(オリックス)がMVPを獲得し、その後のブレイクにつなげたスターの登竜門で「金の卵」は真っ新なマウンドに満を持してお披露目された。

 21世紀初の若手選手の祭典の舞台は東京ドーム。全イースタンは“サブマリン“渡辺俊介 (ロッテ)や高卒1年目の内川らがメンバー入りし、全ウエスタンには韋駄天・赤星憲広(阪神)、川崎宗則(ダイエー)らが名を連ねている。

 絶好の腕試しの場で、竜の背番号28が只者でないのは一目瞭然だった。「全員三振。パーフェクトを目指して投げます」の宣言どおり、自慢の快速球が冴えわたった。2番打者を四球で歩かせたものの、3番・高山久(西武)に対する2球目には150キロを記録。

 結局打者11人を相手に被安打1、奪三振3、無失点の好投。37球中32球をストレートで押し、同僚の蔵本英智らとともに優秀選手賞を受賞した。ちなみにMVPに輝いたのは、決勝本塁打を放った里崎智也(ロッテ)。短期決戦で猛威を振るった男の勝負強さはこの頃から際立っていた。

 直接対決こそ実現しなかったものの、里崎は自身のYouTubeチャンネルで「えげつないストレートを投げていた。」と振り返っている。

いざ一軍へ

 大活躍の傍ら中里はスプリットの取得を目指し始めた。上のレベルで通用するにはストレート一本では厳しいことを理解していたからだ。しかし逸材を一軍が野放しにするはずがない。

 この年ドラゴンズは優勝争いからは大きく離されており、8月19日のヤクルト戦の試合後にはヘッドコーチを務める山田久志が今季中の一軍昇格を示唆する。

 さらに翌週、監督の星野が「まだ思っているだけだが」と前置きをしつつも、「ナゴヤドームの巨人戦あたりで投げさせようかと考えている」と構想を明かした。新人投手の初陣には酷に映るが、期待の星にはいきなり厳しい舞台を用意するのが星野流。

 「中里は大エースに育てる。でも、見たらすぐにほしくなるじゃないか。だから見てはいかん」と公言し、一軍コーチ陣による視察すら許さなかった闘将も態度を軟化。鳴尾浜での二軍戦に一軍投手コーチの鹿島忠を遠征先の静岡から派遣。Xデーに向けて着々と準備を進めていった。そしてお待ちかねの日は9月16日の巨人戦に内定。当時の巨人戦は地上波放送の一大コンテンツである。それは全国ネットでのデビューが決まったことを意味していた。

 「まあ、ホームラン2、3発は打たれるやろ」。

 前々日の練習で初めてゴールデンルーキーの投球を見守った指揮官は、本気とも冗談とも解釈できる談話を残した。登板するマウンドに上がる当人も意見は同じ。ただし、「かわす投球はできないし、どれだけ通用するか知りたいから、真っすぐで押します。それで打たれるなら構わない」と付け加えている。

 強力打線に対して真っ向勝負を宣言した若武者がプロの洗礼を浴びるのか否か。一挙手一投足から目が離せない。

鮮烈デビュー

 歴戦の強打者達にタイマンを挑んだ19歳は全ての者を釘付けにした。勝ち負けは付かなかったが、5回を投げ自責点は1。高橋由伸がファウルを打った際に見せた驚きの表情は、21世紀の大投手誕生を確信させた。

 しかしプロ初勝利は2005年の10月1日まで持ち越されてしまう。原因は2年目の春季キャンプ中、宿舎の階段で負った選手生命を脅かす程の右肩の大怪我だった。

 リハビリ中に別の箇所を痛めたことも一度ではない。打撃センスを買われ、野手転向を進言されたこともある。しかしマウンド以外の場所に戻るつもりはなかった。

 復帰翌年の日本シリーズでは中継ぎの切り札として存在感を示したが、継続した活躍は見せずじまい。躍進の妨げになったのはやはり故障だった。2009年限りで自由契約となり、巨人に移籍。2011年をもってひっそりとユニフォームを脱いだ。その後は引き続きスコアラーとして活動している。

 引退から10年、ドラゴンズに中里の背中を追い続けた若者が入団した。その名は森博人。背番号は奇しくも同じ28。

 見る者を感動させるストレートと、不死鳥のごとく蘇った負けん気は、確かに後世に受け継がれた。前途ある若人の成長を、「憧れの投手」はスタンドの上から鋭い視線を送り続けていくに違いない。

 20年前に放たれた一瞬の光は、見る者の五感を刺激し、今もなお人々の中に焼き付いている。

(k-yad)

 

【参考】

『中日スポーツ』

2000年

10月11日 1面

10月27日 5面

10月30日 5面

10月31日 1面

11月1日 2面

11月4日 3面

11月6日 24面

11月16日 3面

11月17日 1,2,3面

11月18日 1面

11月19日 3面

11月22日 3面

 

2001年

2月6日 3面

2月28日 3面

4月24日 2面

4月25日 2面

5月13日 2面

5月27日 2面

6月5日 3面

6月18日 2面

6月30日 2面

7月11日 2面

7月20日 2面

7月21日 1,3面

8月6日 2面

8月21日 3面

8月22日 1面

8月27日 1面

9月2日 2面

9月9日 2面

9月15日 3面

9月17日 1,2,3面

9月22日 3面

 

2005年

 10月2日 1,2面

 

2009年

11月3日 1面 

 

『月刊ドラゴンズ』

 

2001年 1,8,9,10月号 

 

『野球小僧』NO.6 


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